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辻井伸行さんと国際ピアノコンクール

13回 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで見事優勝した
辻井伸行さんに関する特集番組がテレビであるたび、
テレビの前で 身を乗り出して観ています。


■川のささやき~辻井伸行サントリーホールLIVE! 




■辻井伸行 世界が感動した奇跡のコンクール・ドキュメント(CD+DVD)




■debut 




■ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番




ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールについて

(データベース ウィキより引用)


★来歴

* チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、ヴァン・クライバーンを祝して1962年より原則4年ごとに開催されている。開催地はテキサス州フォートワース。

(追記・・コンクール出演者に宿を提供するホストファミリーは、
審査のうえ選ばれ、みごと選ばれたホストファミリーは名誉であり、
宿泊期間はオレンジ色の旗を 玄関先に掲げる。
出場者に 快適な環境を提供するために最善をつくす。)

* 設立当時、世界最高額の優勝賞金1万ドルを提供することでチャイコフスキー国際コンクールに負けない国際コンクールを目指した。フォートワースは富裕層が多数住んでいる都市で高額な資金提供が可能であった。当時ピアノ教師だったランクフォード夫人が運営していたが、その後石油資産の相続人マーサ・ハイダー夫人に代わり、ハイダー夫人はダラスとフォートワースの上流社会をまとめて多数のスポンサーを獲得、このコンクールを破格の規模にまで大きくして商業主義のスタイルをコンクール運営に持ち込んだ。その後、運営は指揮者アルトゥール・ロジンスキの息子、リチャード・ロジンスキが引き継いでいる。


* 優勝者には現在優勝賞金2万ドルの他にコンサート契約が多数含まれている。そのため優勝者は優勝後に多数のコンサートを続けていくうちに消耗させられて演奏家として大成しない、とまで言われた。(注:これは日本語の某書に典拠を見出すことが出来るが、クライバーン国際のコンテスタント全員が大成していないわけではない。ツアー圏に日本が含まれなかった年度のせいか?)その唯一の例外はラドゥ・ルプーで、彼は優勝後にコンサートを全てキャンセルして再び勉強のためモスクワに戻った。近年、この膨大なコンサートは以前に比べて数を減らされてはいるが、依然として優勝後3年間のツアー契約がついている。



* 2009年は、辻井伸行が日本人として初めてヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、日本での話題を呼んだ。

■感動のヴァン・クライバーン・コンクール・ライブ
この年度は特にレヴェルの高い激戦であり、「下手だから落ちるわけではない」とクライバーン本人が異例の釈明を行っている。



■のぶカンタービレ! (本)
全盲で生まれた息子・伸行がプロのピアニストになるまで



■今日の風、なに色? (本)
全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで

初めて生まれた息子が生後まもなく全盲とわかり、絶望と不安のなか、手探りで子育てをスタート。持ち前の積極性と行動力で子どもの可能性を引き出し、数々のコンクールやコンサートで高い評価を得るまでの、涙と感動の物語。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 音楽の天使が微笑んだ日(ピティナ・ピアノコンペティション/金賞はあの子のもの、とささやき声が ほか)/第2章 伸行誕生、運命の宣告(コウノトリがやってきた/私の子どもだけが眠ったまま ほか)/第3章 音楽の花が開きはじめた(六カ月~三歳)(音楽をやらせるといいかもしれませんね/生活のなかの「音」への鋭敏な反応 ほか)/第4章 人々の喝采が喜びに(三歳半~六歳)(オルガンを弾いてとけこんだ保育園生活/ハーモニカ、琴、バイオリン…広がる音楽への興味 ほか)/第5章 演奏家へのステップ・バイ・ステップ(七歳~)(ついに、プロの演奏家への道を一歩踏み出す/全日本盲学生音楽コンクールで一位に! ほか)


【著者情報】(「BOOK」データベースより)
辻井いつ子(ツジイイツコ)
1960年(昭和35年)、東京に生まれる。東京女学館短大卒業後、フリーのアナウンサーとして活動。86年、産婦人科医の辻井孝と結婚し、専業主婦となる。88年に生まれた一粒種の長男・伸行が、生後まもなく全盲とわかり、絶望と不安のなか、手探りで子育てをスタート。涙と苦悩がつづいたある日、2歳になった伸行が突然、歌にあわせておもちゃのピアノを弾きはじめる。伸行の音に対する鋭敏さに気づき、これを希望の灯と思い定める。持ち前の積極性と行動力で伸行の可能性を引き出し、伸行は8歳にしてモスクワ音楽院大ホールで演奏、10歳で音楽界への登竜門といわれるピティナ・ピアノコンペティションのD級で金賞を受賞する。2000年9月(12歳)に、サントリーホールで初リサイタルを開く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




★ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールについて 備考

* 他の大きな国際コンクールとの相違点は、コンクールのための課題曲をアメリカ人から公募し作曲コンクールを併設していること、それと「練習曲を選ぶ必要がない点」である。かつては大量の課題曲をこなす必要があると恐れられていたが、この点については回を追って改善されている。

* にもかかわらず、練習曲の全曲(例えばショパン)でプログラミングを構成するコンテスタントもおり、加えて難易度の高いプログラミングを好むヴィルトゥオーゾ志向のコンテスタントが他の国際コンクールに比べて多い。

* 近年まで優勝者のツアー圏から長期間日本が除外(イオウデニチは日本ではなく、中国を選んでいる)されており、クライバーンの入賞者&優勝者のレヴェルが日本へ伝わりにくい時代があった。この問題を打破するために、コンクール委員会はyoutubeやmyspaceを用いて普及に努めている。 2009年は辻井伸行の優勝で何かと日本では話題になったが、第一次予選からスター級のコンテスタントが揃っていることを考慮すると、事実上の世界三大ピアノコンクールに審査員の弟子が優先されるリーズやショパンは入らず、エリザベート、チャイコフスキー、そしてこのクライバーンと見られている。


ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール( Van Cliburn International Piano Competition)公式 オフィシャルサイトはコチラ(英語)


第13回 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールについての
募集要項は、次回の参考にもなると思います。
詳しくは、公式ホームページをご覧下さい。    

出場者の資格について(注 第13回のもの)
・・国籍は問わず。以前ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで優勝したピアニストは出ることができない。
応募者は、1978年6月7日以降 1991年5月22日より前に生まれた人。

・選別オーディションについて

2009年1月、2月にアジア、ヨーロッパ、および合衆国の指定都市で開催。
選別オーディションのために受け入れられた各応募者が、
生の視聴者と選別陪審の前で40分のリサイタル。

約30人の選択されたピアニストがその後、公衆に発表されます。

コンテストの3つの別々のラウンドで構成されます。
予選・準決勝は12人・決勝は6人以上は進出できません。

応募者のレパートリー・・ソロ・室内楽・協奏曲・自作曲を用意。
(詳細は、公式サイトにて)


第14回ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールは
5月24日2013年6月9日に テキサス州フォートワースで開催予定のようです★


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